
ご存知の方もいると思うが、2年前の丁度、今時期。とある事で耳鳴りが止まらなくなった。左耳は中音域、右耳は高音域の耳鳴り。薄くなる時もあれば、すごく煩い時もある。もしかしたら、前のブログでも書いたかも知れないが、メニエール病になった時より、それ以上に人生に絶望した。医者には細胞は戻らないので、完治は無理だと言われた。メニエール病の時も同じ事を言われた。人生で二度もこのような事になるとは、予想だにしなかった。泣き崩れる毎日。しばらくして、少し回復したかと思うと、またダメになる日々。何かの音で、今まで以上に悪化してしまうのではないかという恐怖感。
それでも、昨年、新たな多くの出会いで、抑えながらに活動はできたと思う。そんな矢先、11月に、また酷い状態になる。
何度でも。
2年前は、恐怖で演奏が心配だったが、今はそんな事は無くなった。リハまでに不安材料を把握していれば、以前と全く変わらない。病は変わらずとも、自分自身は変われる。
ただ、それでもできない事は、まだある。大きな音での視聴。(特に管楽器系)PCから流る音も疲れてしまう。防音室のピアノの音。電話などなど。
僕は、ずっとやりたい事がある。曲を作る事。暫く吹禅を優先するために控えていた。いよいよと思った、2年前。曲を作ろうと思っていても、耳から心身疲れてしまい、上手くいかない。
何度でも。
これは、20年前。メニエール病にかかった時と同じ。その時は諦めてしまった。尺八も一旦、諦めてしまった。でも、今回は諦めない。

12月。札幌に演奏へ。ここは、石山通珈琲店。20年前にメニエール病で途方に暮れていた時に、訪れていた。それ以来、行っていなかった。思い出してしまうから。店内は全く変わりない。店員が若くなっただけ。気怠そうにタバコを吸う客。じっくりと淹れてくれるコーヒー。しっとりしたフレンチトースト。
あの時は、まだ頼れる人も、どう人生を歩めばいいのかも、わからなかった。こういう時は、変わらず、どうしても孤独を感じてしまう。でも今は昔とは違う。

札幌に数年ぶりに訪れて思った事がある。ずいぶん遠い所まで来てしまったのだと。戻れない時間。この時、初めて人生を振り返ったのかも知れない。ひとりぼっちのような空虚な何か。それでも、10代から変わらない気持ちが、僕の身体の大半を占めている。
自宅に帰り、好きだった音楽を聴き漁る。耳の事など、気にもせず。ずっとまともに聴けなかったアーティストたち。心が沸き立った。熱いものが蘇る。
何度でも。
久しぶりにピアノに向き合う。耳と身体が疲れる。それでも、諦めずに、弾いてみる。疲れたら、休めばいい。時間があったら、早めに寝てもいい。
そう。また音楽が出来なくなるのではないかという恐怖心。ずっと続けたいと持つ希望。どちらも、結局は先の事。今、楽しむ事。やりたい事をするだけ。去年のインタビューで、答えた通りだ。「人生は死ぬまでの暇つぶし。楽しむ事。」
少しづつでも、やり続ける。初心に戻った気持ちだ。
そして、幸福な事に、昨年から、また今年に繋がるモノづくりの機会を与えて頂いている友人に感謝。
本当にありがとう。
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