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坐禅と吹禅に思う vol.2



 「坐禅と吹禅」を7月から初めて2ヶ月。色々な方との出会いや、面白い話を茶礼で聞く事ができています。また、芦ノ湯に住む市川さんの地元のお話や、精進ヶ池の伝説の話がまた、面白い。(まさか、ここで尺八の話が出てくるとは。)

 ZEN2.0の登壇をきっかけに仲良くさせて頂いている島田啓介さん(肩書きが色々です。→精神保健福祉士(PSW)・カウンセラー、翻訳家、大学講師、ワークショップハウス「ゆとり家」主宰、プラムヴィレッジOIメンバー(正会員)。 農業をベースにした自給的生活と、体と心の癒やしの提供に取り組む。1995年のティク・ナット・ハン来日ツアーの世話役の一人。)もお越しくださり、とても嬉しい感想を頂きました。尺八の音色を聴いていると、尺八の呼吸を通して、東光庵の呼吸も聴こえて、なんとも言えない。」との感想でした。古民家は温度や湿度で膨張したり、収縮したり、呼吸をしているそうです。そうした自然の音が心地よく共鳴しあう。この感覚は僕にはないもので、島田さんの感性に感動しました。

 また、違う日にお越し頂いた方で、坐禅の後に、「坐禅中に浮かび上がる雑念。ずっと雑念が続くわけではなく、雑念と雑念に間を感じた。」「雑念が沢山、列のように出てきた。」などの感想も頂きました。僕は一個人の意見として、雑念が出てくる事は自然ですし、それを味わう事の方が好きです。だから、とても嬉しい感想でした。

  

 僕は色々な瞑想や坐禅を気軽に毎週できる場所をずっと開きたかったです。老若男女、国、瞑想のレベル差もない。それは、思想や生き方も千差万別の世の中で、「しなければならない精神」を無くすこと。雑談を通して、認め合うこと。本当はそんな事もどうでもよくて、ただ楽しむという事。味わう事。そんな事をそっと大切にしています。だから、僕自身も2ヶ月経った今、僕は1時間ある坐禅の半分を身体の養生に。そして半分を瞑想に使ったり、その日にあった瞑想をしています。

 

 尺八もついついウンチクを語ってしまうのですが、ただ単に音だけを味わって欲しい。(これは僕の課題ですが。)その時にいてくれる人、空気、心から出てくるものを静かに音にする。尺八をいう楽器かどうかもどうでもよく、風のように名もない音色に耳を傾ける。そういう時間にしたいと思っています。ですので、毎週毎週、僕も楽しみでなりません。


 悩み事を持って来られる方、人を求めてくる方、興味があって来てくださる方、さまざまな出会いが、東光庵であります。


 是非、お気軽に遊びに来てください。

 

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